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 1月21日


親しい友人に病いが見つかり、心が痛い。
病いに対しては誰しも無力だ。「髪の毛一本さえもどうすることもできない」のだから。自らをどうすることもできないなら、天に委ねるしかない。委ねることを知っている彼女は普段とほとんど変わらないように見えた。乗り越える力をすでに得ているに違いない。すでに「超えている」のかもしれない。

いろいろなことが起こる中で近頃思うこと。
不自由を感じていない時には「自分」や「私」が中心になる。ドライバーでいられる。だから何でもできる何処へでも行けると思ってしまう。何でもあたりまえ、傲慢になる。貪欲になる。勘違いしてしまうことさえある。自分で自分を見ることはできないから気がつかない。目がよく見えていないこのことこそが不自由なのではないかと思うようになった。自分が…という思いを捨てることができたら、心を委ねることができたら、ホンモノの自由をゲットできるのかもしれない。もともとが小さくて無力な者なのだから、そんなに頑張らなくてもいい。助手席でいいんじゃない?
温室でアマゾンリリー(ユーチャリス)をみつけた。うつむきかげんの純白の花とすーっと真っすぐにのびる茎。美しくてただただ見とれるばかり、自由に生きているように見える。



 9月30日


お腹周りの厚いリングが気になり散歩をはじめた。といってもまだ6日目、何をやってもほとんど三日坊主なので口にするのはまだ早すぎる。
洗濯機にスイッチを入れて帽子と手ぬぐいを持って外へ出る。部屋を出た時の空気がここ数日で変わってきたと感じる。
10分ほど歩いた所にラジオ体操のために近隣の住民が集まる公園がある。もう何年も前から同じ場所、同じ時間にどこからともなく人がやってきてラジオ体操第一と第二をやっている。終わるとすぐに自然とバラバラになる。100人ほどであろうか、どなたかが毎日ラジオを持って来てくださっているはずだが、詳しいことは全く知らないまま勝手に参加している。体操を終えると今度は違う道を通りながら戻ってきて、家の近くの築山へ上り朝の空気を思いきり吸って、空と富士山を仰いでから帰ってくる。汗を拭いた後のお茶を今日は冷たい麦茶から暖かい緑茶に変えてみた。心も身体もなんだかホットしてやっと秋らしさを感じることができた。わずか30分ほどのお散歩だけれど季節が少しずつ変わっているのを実感することができる。彼岸花は昨年に比べて早く咲き始めたのでもうそろそろ終わりだ。イチョウの葉っぱは少し乾いてきて葉緑素がぬけつつある。黄色くなる日もそう遠くはないとわかる。
植物は日々変化している。そして実際に身体を動かしてみると、自分の体内の細胞もどんどん変化していると感じる。1年がだんだん短くなっていくような気がするのはそのせいだろうか。目も代謝も悪くなる…。植物の姿を見ていたら、そんなこともちゃんと受け入れていこうと思った。



 8月28日


ひまわりって後ろ向きだな〜。
炎天下、この写真を撮ったときそう思った。あまりの暑さに参ってしまったので翌々日は夕方から出かけた。同じ場所に立ったら月が出ているのに気がついた。
「菜の花や 月は東に 日は西に」与謝野蕪村の俳句を思い出した。なるほどひまわりは後ろ向きではなくて、東を向いているのだ。今頃気づくなんて遅すぎるけど、太陽が昇る方向を一斉に向いていたのかと思うと、地面、いや地球全体が見えない大きな何かに大切に包まれているような気がした。
ひまわりは若いうちはお日様の方へとまわり、開花してからは東を向くことを知った。日輪草(ニチリンソウ)と言われる由縁だ。生長したひまわりは明日を見つめながら凛としてこの地に立っているのだ。「キマッテルな〜堂々としてカッコイイ!おまけにいつも笑ってるし…」この姿を忘れたくないと思ったのでプリントした一枚を壁に貼っておくことにした。



 8月9日


蝉が元気よく鳴いている。「しね、しね、しね」と聞こえるこの時が一番暑いような気がする。暦の上では立秋。その途端に猛暑が戻って来た。
7月初旬の猛暑日で2本のオリーブのうち1本の葉っぱが完全に枯れてしまった。あっという間に茶色くなってぱらぱらと落ち始めた。固くなった細長い葉がカラカラと音をたててベランダを走る。掃除も大変なので全ての葉を取ってしまったら、枝だけの何だかわからない植物になった。あれから一月、再び青い芽を出し緑が戻ってきた。もうこのまま枝も枯れてしまうのかと心配したけれど、復活が早かったのは、こんな暑い中でも次の葉っぱはちゃんと外へ出る準備をしていたから。ついに落葉したときに、今だ!と顔を出したのだ。
植物は休むことなく生きている。人間と同じで暑さや寒さに参ってしまうこともあるけれど、やはり次を整えてその時を待っているのだ。丁寧にていねいに生きている気がする。こんなに暑いとベランダに出るのも億劫だけれど、朝起きて植物の様子を見て水やりをすることで、こちらも元気になってくる。副交感神経のためにも大切なことだ。
それにしてもちょっと寂しいベランダ。今夏咲いているのはこぼれ種から出てきた白い小さな朝顔のみ。やはりもう少し元気がいっぱいもらえるように、今からでも夏の花苗を買ってこようかと思う。でも買い物に出るのも勇気がいるほどの暑さ。今日も猛暑日となるか…。
暑くならないと咲いてくれない蓮も首がこんなに曲がってしまって、この厳しい暑さには参っているように見える。



 6月25日


ただ今「断捨離」中。
「それって、どんなゴハン?」と真顔で聞いてきた家族も、玄関先に積まれた本や雑誌、段ボールやゴミ袋が増えていくのを見て、その意味を解したようだ。
引っ越して来た時には収まっていたはずのモノがいつの間にか増え続け、比較的余裕があった部屋が倉庫のようになってしまい、窓までたどりつくのがやっと、そのうちTVに出られるかもと思うほどだ。
まず一番に手をつけたのは防災用品。水は1ケース、ご飯は20食分が賞味期限切れ。「災害備蓄は一週間分」となった今、ぜんぜん足りないのにこんなに無駄にしてしまった。「ムダ=ゴミ=有料」の式が頭に浮かび悲しくなった。
読みかけのまま放置している本や雑誌がたくさん。きちんと読んでいれば思い切って処分することができるのにと思うものもある。時間をうまく使えていなくて、いつでもやりかけやりっぱなしがこの結果を生むのかもしれないと思った。ムダのもとが時間の使い方にあってしかも有料。「Time is money.」結局はそこだ。断捨離は私にとって痛みを伴うツライ行為だ。けれどやるなら今だ。

ダストボックスの横に数種類のアジサイとギボウシが咲いていた。朝露をたたえて静かに咲く美しい花たちに会うのは早朝の楽しみであったのに、昨日すべてカットされ地面に投げられていた。断捨離か?…。悲しくて言葉にならない。数本を拾って花瓶に挿した。



 4月22日


メタセコイアの新緑が美しい。
芽が出始めたと思ったら、あっという間にふさふさになり淡い緑が爽やかに揺れている。
この時期にしては記録的な寒さに見舞われたここ数日だったのにぐんぐん新芽が育ち、北風に煽られてたくさんの実が落ちた。新旧交代の時季だ。
昨日は大雨だったけれど午後から晴れたのでコートをしっかりと着てメタセコイアの実を拾いに出た。雨上がりで実は鱗片をしっかり閉じている。鱗片の間に細い枝や葉、小さな虫がはさまっているものもあって、選びながら拾っていたけれど、途中から面倒くさくなり、とりあえず厚く重なった落ち葉といっても粉のように細かくなって堆積しているのだが、その上に落ちた実だけを拾うことにした。
最近朝ドラの「あまちゃん」にはまっている。その中で主人公のアキに海女のおばあちゃんが「ウニは銭だと思え〜」と言う場面がある。ウニが500円くらいとしたらメタセコイアのこの小さな実は10円くらいかなと思う。「銭か〜」とこのシーンを思い出しながら拾っていたらあっという間にスーパーのビニール袋いっぱいになった。帰宅して、かごに入れベランダに干すことにした。
そして今日。すっかりいいお天気になったものの北風がまだ冷たい。この時期にこんなに大きな低気圧がやってきて東北では雪、都心でも最低気温が5℃というのは42年ぶりとかでテレビで大きな話題になっていた。メタセコイアの実は北風にあたって鱗片が開き、ごみがとりやすくなった。どれぐらいの量かを確かめたくて、A4サイズの紙が入っていた段ボール箱に包装紙やワックスペーパーを敷いて、高級なベッドを用意した。掃除した実を入れたらなんだか立派なギフトボックスのようになった。デパートのギフトコーナーに並べてもおかしくないんじゃない?と自分ひとりで感心する。これがウニだったらおいくら¥¥?といつの間にかつぶやいていた。メッチャセコイヤ…私。



 4月8日


二十数年使っていたテーブルの脚が折れた。
購入した家具屋さんに同じ物を作ってもらうことになったが、一月半ほど時間を要するとのこと。
ちゃぶ台を出してきて、昭和的生活が始まった。
ところが正座が続かず横座りをしていたおかげで3日も経たないうちに腰痛がおこり、結局椅子に座ることにした。椅子に座るとちゃぶ台はひざより下の高さになるので、茶碗をとるのに体ごと腕をのばすような格好になり、なんだか落ち着かない。そこで考えたのは椅子をテーブルにすること。ちゃぶ台よりは高さがあるので楽だ。でも椅子に座って椅子と向かい合って食べるのは、お行儀が悪く、なぜか無性に寂しくなる。気がついたらひざの上にお皿をのせたりして、さらに行儀悪くちゃんと食べた気がしない。正座が一番なのだろうけれど、慣れないことはなかなかできないものだ。昔はみんなちゃぶ台で食べていたのだから、体というのは使うことがなければ、自由に動かしたり我慢したりができなくなるものなのだ。昭和が懐かしくなってきた今、便利さと引き換えに失ったものや、生活習慣がなんと多いことかと考えてしまった。
とここまで書いて数日が経った今日、脚が戻って来た。見本用に送った古い脚と新たに作ってもらった脚の2本だ。早速レンチで取り付けていつもの場所に置いたら、夕飯の支度がスイスイできた。ああ、なんとありがたいこと。当たり前だったテーブルの存在を改めて知ることとなり、そこにテーブルが在ることが嬉しくてたまらなくなった。しばらくお世話になったちゃぶ台さんには悪いけれども…。

おはようと言いながら、思い思いに踊っている。今朝のテーブルの上のチューリップ。



 3月5日


写真を撮ると画像の中に黒っぽい点がぽつん。ぽつん。日が経つにつれ点が増えている感じ。カビか?ちょっと不安になりカメラをサービスセンターに持って行くことにした。ついでに父からもらったカメラも気になることがあり持って行った。
黒い点はほこりみたいなものでクリーニングすればOKと言われほっとした。父カメのほうはマニュアルでピントが合わせられなくなっており、やはりスイッチの故障。旅行以外はあまり使っていないから修理はしません…と伝えたもののやっぱりいつも使っているカメラに何かあったら困ると思い直し、お願いすることにした。嫌な予感は必ずあたるのだろうか…。
翌朝、クリスマスローズを撮っていたら露出の表示がメチャクチャになって、おかしいとファインダーをのぞいたら、なんとクリスマスローズが上から生えていた。さかさまだから鏡だなとわかり、夕方またカメラを連れて秋葉原へ。
レンズを外したら鏡がへんなところにコロンと入り込んでいたそうだ。こんなのは初めて、接着剤がはがれたようですとのこと。「昨日のお掃除のせい?作る時にちゃんとのり付けておいてよ!」とよっぽど言いたかったけれど、受付窓口の人が私の顔を覚えていてくれて親切な対応とお肌の美しさに感心して言えなかった。
カメラは2台とも入院となり、いろいろ考えるとイヤになったのでとりあえず全部忘れようと思った。
「カメラはツール」と思い込んでいたというより決めていた。けれど手元にないと何だか寂しい。木の椅子の上にいつも置いているのだがそこには何もないのだ。毎日Macを触るように同時にカメラにも触れてきたことに気がついた。普段あまり意識していないのだけれど、忘れた時あぁ困った〜と思う携帯電話と同じ感じだ。カメラはただのツールじゃなくて私にとっては大切なパートナーだったのかもしれないと思ったら、持って行きようのない腹立たしさが消えて一刻も早く戻って来てほしいという気持ちに変わった。入院日が別々だったので退院もばらばらだったけれどちゃんと2回お迎えに行った。秋葉原は家からかなり遠いのに、これだけ通うとなんだか身近に感じられる。メイドさんやコスプレギャルにも慣れて、まったくチンプンカンプンだった道が少しわかるようになった。これで次の修理も安心だって思ったけど、いやいやこれ以上は勘弁、もっと大事にしなくちゃと反省しながら地下鉄に乗った。

手前は交換した父カメのボディー。後ろは鏡と周辺の部品、まるごと交換。カメラの中って面白い。



 2月20日


ほしのとみひろさんの展覧会に出かけた。
本は何冊か持っていたけれど、本物を見るのは初めてで、素晴らしいので是非と薦めてくださった方に感謝した。ひとつひとつの作品が生きてこちらに語りかけてくるのがわかった。ことばが音とリズムになって心の中にやわらかに響いてくる。入り口に掲げられていた大きな額の中のことばに惹かれ、販売されている書籍の中にこれがないかと探した。花に向かう姿勢、この優しいまなざしをずっと覚えておきたいと思ったのだ。見つけられないまま帰宅したので、友人にお願いしてそのことばを記録してもらった。メモ帳に書いてもパソコンの中に置いたとしても、どこかにしまい込んでわからなくなってしまうので、いいかどうかわからないのだけれど、備忘録としてそっとこのスペースを使うことにした。

ほしのさんのことば
花をみていると、その色、その形の美しさに驚かされることばかりだった。
花には一つとして余分なものがなく、足らないものもない様な気がした。
ちょうど良いところに花がつき、ちょうど良いところに葉があり、葉と花に似合った太さの茎があった。
葉は花の色を助け、花は葉の色として形をそこなわずに咲いていて、一枝の花とはいえ、広大な自然の風景を見る思いだった。私は絵に関しての知識はないけれど、この自然の花をそのまま写してゆけばよい絵が描けると思った。



 1月30日


雪化粧。
いったいだれが、いつ、この言葉を発したのかと思う。それほどまでに美しい朝がカーテンをあけると目の前にあった。うっすらと積もった雪で今までとは違う世界が現れるのだから、天のいたずらとでも言おうか、われわれにはなし得ない自然の業にただただ感嘆するのみで、キレイとかウツクシイとか幼い子どもでも言える単純な言葉しか出てこない。だからこんな光景を雪化粧と表現した人物がいつの時代を生きていたのか、どんな人なのか知りたいと思った。
雪を積んだ植物はみな頭を下げて、おはようと挨拶しているようにも見えるし、ゴメンナサイと謝っているようにも見える。白い衣はどんな植物にもお似合いで、この日を心待ちにしていた花嫁のよう。雪衣(ゆきごろも)とでも名付けようか。すでにありそうな…。