題名   




■ 4月8日


二十数年使っていたテーブルの脚が折れた。
購入した家具屋さんに同じ物を作ってもらうことになったが、一月半ほど時間を要するとのこと。
ちゃぶ台を出してきて、昭和的生活が始まった。
ところが正座が続かず横座りをしていたおかげで3日も経たないうちに腰痛がおこり、結局椅子に座ることにした。椅子に座るとちゃぶ台はひざより下の高さになるので、茶碗をとるのに体ごと腕をのばすような格好になり、なんだか落ち着かない。そこで考えたのは椅子をテーブルにすること。ちゃぶ台よりは高さがあるので楽だ。でも椅子に座って椅子と向かい合って食べるのは、お行儀が悪く、なぜか無性に寂しくなる。気がついたらひざの上にお皿をのせたりして、さらに行儀悪くちゃんと食べた気がしない。正座が一番なのだろうけれど、慣れないことはなかなかできないものだ。昔はみんなちゃぶ台で食べていたのだから、体というのは使うことがなければ、自由に動かしたり我慢したりができなくなるものなのだ。昭和が懐かしくなってきた今、便利さと引き換えに失ったものや、生活習慣がなんと多いことかと考えてしまった。
とここまで書いて数日が経った今日、脚が戻って来た。見本用に送った古い脚と新たに作ってもらった脚の2本だ。早速レンチで取り付けていつもの場所に置いたら、夕飯の支度がスイスイできた。ああ、なんとありがたいこと。当たり前だったテーブルの存在を改めて知ることとなり、そこにテーブルが在ることが嬉しくてたまらなくなった。しばらくお世話になったちゃぶ台さんには悪いけれども…。

おはようと言いながら、思い思いに踊っている。今朝のテーブルの上のチューリップ。