■ 1月21日 親しい友人に病いが見つかり、心が痛い。 病いに対しては誰しも無力だ。「髪の毛一本さえもどうすることもできない」のだから。自らをどうすることもできないなら、天に委ねるしかない。委ねることを知っている彼女は普段とほとんど変わらないように見えた。乗り越える力をすでに得ているに違いない。すでに「超えている」のかもしれない。 いろいろなことが起こる中で近頃思うこと。 不自由を感じていない時には「自分」や「私」が中心になる。ドライバーでいられる。だから何でもできる何処へでも行けると思ってしまう。何でもあたりまえ、傲慢になる。貪欲になる。勘違いしてしまうことさえある。自分で自分を見ることはできないから気がつかない。目がよく見えていないこのことこそが不自由なのではないかと思うようになった。自分が…という思いを捨てることができたら、心を委ねることができたら、ホンモノの自由をゲットできるのかもしれない。もともとが小さくて無力な者なのだから、そんなに頑張らなくてもいい。助手席でいいんじゃない? 温室でアマゾンリリー(ユーチャリス)をみつけた。うつむきかげんの純白の花とすーっと真っすぐにのびる茎。美しくてただただ見とれるばかり、自由に生きているように見える。 |